生成AI時代の知的生産の技術
「知的生産の技術」との出会い
私が梅棹忠夫さんの名著『知的生産の技術』と出会ったのは、岩波新書が刊行されるよりも前で、岩波書店のPR誌『図書』に連載されたときでした。たしか、まだ高校生の頃でした。その当時(いまから60年近く前)は、この雑誌を読むことが読書人の流行だったような気がします。1965年4月から『図書』に連載された始めた梅棹さんの「知的生産の技術について」という記事は、たちまち私を虜にしてしまいました。その知的生産方法論の独創性に強く惹かれたのです。梅棹さんが発明した「発見の手帳」「京大型カード」を私もさっそく取り入れて、日々の勉学に役立てたのでした。
「知的生産」という言葉は、梅棹さんが発明したものです。それは、「人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合」と定義されています。こうも言い換えられています。「知的生産とは、既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとにして、それに、それぞれの人間の知的情報処理能力を作用させて、そこにあたらしい情報をつくりだす作業なのである」と(『知的生産の技術』より)。つまり、一つの創造活動なのです。情報産業が重要な役割を果たすようになった現代において、知的生産を効率的に行うための技術ないし方法、それが梅棹忠夫さんの「知的生産の技術」だったのです。
この本の構成を見ると、第1章が「発見の手帳」、第2章が「ノートからカードへ」、第3章が「カードとその使い方」となっています。梅棹さんのオリジナルのアイディアとして高く評価できるのは、「発見の手帳」と「京大型カード」の発明でしょう。前者は、ダ=ヴィンチの手帳がもとになっています。ダ=ヴィンチはポケットに手帳を持っていて、なんでもかんでも、やたらにそれに書き込んだそうです。梅棹さんもそれにならって、手帳をつけることにしたのだそうです。ただし、梅棹さんが手帳に書き込んだのは、「発見」でした。「毎日の経験のなかで、なにかの意味で、これはおもしろいと思った現象を記述するのである。あるいは、自分の着想を記録するのである。それも、ちゃんとした文章でかくのである。・・・それは、わたしの日常生活における知的活動の記録というようなものになっていた。」
つまり、「発見の手帳」は、毎日の経験の中で、頭にひらめいたアイディアや新しい発見をその場で記録するためのツールだったということができるでしょう。これは、自分にとって関心のある情報や知識を収集すること、と言い換えることができるかもしれません。
一方、「京大型カード」は、ノートを発展させた情報保存、整理のツールです。その発端は、梅棹さんが文化人類学の研究者として、フィールド調査に出かけたときに使う「野帳」(フィールド・ノート)の不便さでした。調査研究旅行が長期にわたると、あとの整理が大変です。膨大な野帳の中から同じ種類の記述を拾い出すのが大変だったのです。梅棹さんがカードを使い始めたのは、そんな時でした。野帳に記録した資料全部を項目別にばらして、カードにしてしまうという方法を思いついたのでした。それを洗練させ、完成させたのがB6判の「京大型カード」だったのです。
京大型カードは、大量の資料を整理、保存するためのツールです。1枚1項目という基本的ルールで記録するように設計されています。今日PCで使う「ファイル」あるいは「ページ」と同じ考え方ですね。
第4章「きりぬきと規格化」では、資料の整理と保存の方式として、「仕分けして棚に入れる」方法と、それを発展させた「オープン・ファイル」を取り上げています。オープン・ファイル方式というのは、「すべて一定の型のフォルダーにはさみこんで、それをふつうの本棚のような棚に立てる」方法です。フォルダーには、耳がついていて、そこに項目名を書き込む。こうすれば、項目をふやすにはフォルダーをふやせばいいし、順序の変更や細分化など、なんの困難もない」。
このようなオープン・フォルダー方式の情報整理法は、今日のPCでは、「フォルダー」「ファイル」による整理法と本質的に同じです。その意味では、梅棹さんの採用した情報整理方式は、今日のデータ整理法を先取りしたものだったと評価することができるでしょう。
情報収集、整理、制作の三段階モデル
梅棹さんの開発した知的生産の技術は、まだパソコンもワープロもない、紙メディアの時代に考案されたものでしたが、知的生産をすすめるための革新的な方法論を提示するものでした。それは、三つの点で画期的なものでした。一つは、情報を生産する基本単位として、オープンファイルという概念を導入したことです。もう一つは、知的生産のステップとして、「情報の収集」「情報の整理」「コンテンツの制作」という3つの段階に分けて、知的創造のプロセスを明らかにしたことです。最後に、梅棹さんの考案した知的生産の特徴としては、「規格化されたカード」を知的生産のプロセスで一貫して採用したという点を挙げることができるでしょう。それぞれについて、高度情報化の進んだ現代の視点から整理してみましょう。
オープン・ファイル・システム
まず、「オープン・ファイル」システムですが、これは梅棹さんによれば、「すべて一定の型のフォルダーにはさみこんで、それをふつうの本棚のような棚に立てる」方法です。フォルダーには、耳がついていて、そこに項目名を書き込む。こうすれば、項目をふやすにはフォルダーをふやせばいいし、順序の変更や細分化など、なんの困難もない」ということになります。これは、現代では、パソコンのファイルとフォルダーに相当するものであることは言うまでもありません。また、Webブラウザのブックマークと対応するものであることにも注目しておきたいと思います。これは、のちほど詳しく説明する「生成AIポータル」活用においても重要になる特性です。フォルダーを増やしたり、順序を入れ替えたりすることが自由にできるという「オープン」な特性も、NotionやOneNoteなど、現代の情報整理ツールと共通する思想であり、それを先取りするアイディアだったといえるでしょう。
情報の収集
次に、知的生産のプロセスについて、梅棹さんのアイディアを現代メディアに置き換えて検討してみることにしましょう。
「発見の手帳」は、「毎日の経験のなかで、なにかの意味で、これはおもしろいと思った現象、あるいは、自分の着想を記録する」ものでした。つまり、それは自分の経験、観察、見聞、着想などを記録する媒体であり、一言で言えば「情報収集」のためのツールだと言えるでしょう。それは直接知覚したり、観察したり、鑑賞したり、聞き取ったり、読書したり、会話したり、撮影したり、アイディアが浮かんだり、瞑想したり、思考を巡らせたり、ネットで検索したり、チャットでやり取りしたりなど、およそ情報として自分の中にインプットされるものがすべて含まれています。
この段階で利用可能なメディアは、「発見の手帳」のような紙メディアだけではなく、現在ではスマートフォンやパソコンなどにまで広がっており、後者が中心になっていると言えるでしょう。また、情報収集の方法も、「向こうから入ってくる」プル式よりも、「こちらから探しに行く」プッシュ式の割合が増大しています。検索エンジン、生成AI、チャットなどの利用はその代表的な例です。「心に浮かんでくるアイディア」「着想」なども、検索エンジンや生成AIとのやり取りの中から生まれることが少なくありません。「発見の手帳」は、収集した情報を一次的にメモし、記録しておくためのツールでした。今日でも、手書きのメモ帳やカードはこうした手段として使われはいますが、あくまでも補助的、一時的な記録場所であって、本格的な記録メディアとしては、やはりスマートフォンやPC上の各種ノートアプリが常用されるようになっています。これは、後でも述べるように、生成AIの活用までも視野に入れたWeb上の共通の記録フォーマットが必要とされるからです。
情報の整理、保存
さて、文化人類学者としてフィールド調査に出かけることの多い梅棹さんにとって、知的生産活動の中で最も重視したのは、情報の整理、保存の方法でした。フィールドから持ち帰った膨大な野帳を整理することの大変さから、編み出した効率的な情報整理ツールが、1枚1枚独立した京大型カードだったことは、先に述べた通りです。これは、現代で言えば、PC上あるいはサーバー上にあるファイルに相当します。ファイルは独立していますから、京大型カードのように、自由に移動したり、順序を変えたり、新たなフォルダーに入れたりすることができます。これによって、理想的な形で情報の整理、保存を行うことができるのです。